ぐっちょんばっこん「悪の教典」(貴志祐介)
キター!!!!!!!!!
人間が書けてなくたっていいじゃないか。
展開がありきたりだっていいじゃないか。
漫画みたいな造詣だっていいじゃないか。
出てくる人物が「こんなやついねえよ」だっていいじゃないか。
もうね、怒涛の展開に脳髄でっぱなし、いろんなところから液体でっぱなし。ドーパミンon!グリコーゲンon!コラーゲンon!バーミヤンon!
ああああああああああ、蕩けるうううううううう。
ということで僕は推します。
って今頃なんだけどね。
『悪の教典』貴志祐介
いやぁ、満足満足。
正直、前半はだるだるだるびっしゅなのよ。なんだ、これで悪ってねえって。もうこんなのいらねえよって。
でも下巻が怒涛。いや、人によってはこの下巻が気持ち悪いとかご都合主義すぎるとかハスミンそこまでとかもう貴志は読まないとかいろいろあるんだけどさ 、
僕は大あり名古屋は城で持つです。
たぶん、批判者のほとんどが主人公ハスミンの人物設定が甘いとかカリカチュアサイズされているとかいろいろあるんだけど
そんなのどうでもいいんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ(DIO風に)
これは後半の疾風怒涛、天地無用な大殺戮スペクタルを楽しむ本なんだから(って俺だけ?)。
主人公ハスミンが一人また一人と二年四組の生徒を殺していく様はまさに悪鬼羅刹。ここでもうなんど蕩けたか。やばやばやばー。もはや殺戮のダイハード。また貴志は文章が上手だから非常に読ませるんだよねえ。
そして確実に立つ死亡フラグ。期待を裏切らない殺されっぷり。久々にホラーマニアとしてすかっとさわやかコカコーラです(ってさわやかでないけど)。
特に一人一人に対してとどめを指すときのハスミンの非道っぷりにはぁぁぁぁぁって成ります。例えばねえ、クラス一の秀才を殺すときのハスミンの英語なんかもうイキまくりなの。
「You were to enter Todai? Sorry, you are going to die」なんだこの駄洒落。で、ドスンですよ。まじかー。
こっからはネタバレ(読んでない人回れ右)
狡いなぁ「赤い夢の迷宮」(勇嶺薫)
ええっとですねえ、
例えば普段ガングロ、化粧も決めてばっちりメイク。しかもスマホはデコレーション。話す言葉も語尾があがる感じ。でもなぜかテストは高得点。学年のトップクラス。実はいつもさりげなく勉強は一日3時間はやっている。
ずりい・・・
あるいは普段はそんなそぶりかけらも見せないで仕事はばっちり、テキパキテキパキ。きている服もバリッとしたスーツを着こなし、ヒールの歩く音だけがカッカッカッと鳴り響く。でもひとたびベットでは恥ずかしそうに「あかん」となぜか関西弁。「いやそこはあかんって」そんな事言われたらついていくしかありませんがな。
ずりい・・・
いやいや、普段は単純な好々爺でいつもニコニコ公園で笑っているのにある日、公園にダメなDQNが来たら「こらこら、そんなことはしてはいけないよ」。「うるせー黙っていろジジイ!」そこに突然黒服マッチョが三名ほどあらわれいきなりそのDQNに殴りかかる。「組長、大丈夫ですか」「組長はよしてくれ。もう引退した身じゃないか」
ギャップ萌えです。
で今日はこの作者
勇嶺薫
誰のことかわかりますか・・・・?ミステリファンでもなかなかわからないかも。
実はこれ、こう読みます。
「はやみね かおる」
そう、あのジュブナイルミステリの帝王です。もともとは平仮名表記が基本。でも今作だけは漢字表記で名前が書かれている。
『赤い夢の迷宮』
館です。殺人です。クローズドサークルです。
あの「誰も殺さない」「優しくて優しくて優しい」「子供に読ませたいミステリ」のNO1はやみねかおるが満を持して書いたブラックなミステリ。
25年前に子供だった7人がそのとき知り合った年寄りに30を超えた今、招待される。子供のころは夢や希望にあふれていた彼らは現実を知り、そして閉塞感に苦しみ「館」に集まってきた。
ってこれ、藤子不二雄の「劇画おばQ」やん!ああ、悲しい。ああ苦しい。しかも作者ははやみねなんでそこらへんは容赦ない。子供のころあんなに純真だったのにいつのまにかみんな「変わって」しまったんだ。
で、当然、殺人は起きる訳ですよ。一人、また一人ってね。ここらへんはクリスティやアヤツジ同様、実に正統派。
で、一応結末が出るんだけど・・・・
ここからはネタバレあり。読んでない人、御躊躇を。
さだはすごいんだ「眉山」(さだまさし)
本業が作家でない人の書く本が好きである。たまに太田みたいな痛い人もいるが(マボロシの鳥は痛かった)基本、才気煥発、なるほど本業でもしっかりしている人は文章もいいこと書くのねって思ってしまう。
とくにミュージシャンの書く本はいい。なんだろ、リズムがいいのだ。読んでいても心地よくなる。たぶん文章を書きながら彼らはリズムを刻んでいるのかなとも感じるのだ。
当然のことながら山下洋輔は別格だけれども(読んだことない人、読んでみなよ!ほんといいんだから。昭和の名エッセイは絶対読むべきだと思うよ)、オーケンの小説なんかも好き。そういえば辻仁成も作家編入組だよね。
でこの方もいいんだよなぁ。
『眉山』さだまさし
すい臓がんで余命幾許もない母。彼女は自ら献体を申し出ていた。それを知った娘は・・・
さだの本の良さはとんでもなく「モラル」なところである。まあもともとさだ自身がすばらしきモラリストだと思っているのだけれど、それは本にも現れる。この本に出てくる母親の生き方に僕らは目を奪われる。
そしてその生き方に憧れるのだ。ここらへんはさだの筆の上手さ。この死にゆく女性の最後まで毅然とした態度に背筋が伸びる。シャンとね。
ストーリーとしてはありきたりだけどそれでも僕はこの話しが好きだ。それはさだが臆面もなく「いいことはいいことだ」と語りかけてくるからかもしれないと思っている。
僕はもともと音楽趣味がかなりマニアックでテクノやジャズ、フレンチポップス、渋谷系あたりを好んで聞くんだけど、なぜかさだは聴いてしまうんだよなぁ。これ七不思議のひとつ。
さだの曲は二つあってシリアスとユーモアだと思っている。ユーモアなさだも好きだけど僕はシリアスなさだが好き。とくに好きな曲として「償い」がある。
これ、とにかくさだの凄さが伝わってくる曲である。この曲を初めて聞いたときは鳥肌がたったよ。
というわけで是非こんな曲も聞いてみてください。「償い」です。
読むのは楽だけど書くのは面倒「りぽぐら!」(西尾維新)
ア段
西尾維新の本を読む。これ、結構曲者です。というのもこの本って実験小説で。この本、使用できる文字を制限しているんですよ。
以前筒井の本で同様の実験をしているけど(知っているでしょ)、この本でもいっしょ。そして西尾のケースもそれに似ている。けれどちょっと変化しており、西尾もその点熟知しているのです。
エ段
しまった題を書くのだった。西尾の『りぽぐら!』。この本は使う文字を消去するんだ。最初は普通に文章を書く。その後に四つの同じ内容を「使う文字を消去する」ことにしながら同様の文章を書くのだよ。
実はこの作業の最大の問題は書く作家は異常に労力がいるんだが(筒井の「残像に~」もそうだよ)意外とその労力に見合わないというところがあるんだ。この本もそうなの。批評は「おもしろくない」「同じ話しを四回も読ますのはきつい」など内容に関することばかり。いいじゃないの、この本の読みどころはそんなとこじゃないんだからと思うんだがな。
ウ段
あのね、実験なんだからそこは気にしないべきなのよ。読んだ人もね。でその実験をニヤニヤ笑って、「へえ、こんな手間かかって大変だな」って感じてればいいのにね。
俺もなにーっておもいましたよ。しかもそれだけで本書いて。西尾まじアホだなと思いケケケケケって笑いましたもん。
オ段
まあ、中身が変わらない文が続くんで苦痛な方はいるかな。だがすげえって感じますね。いや、今自分が書いていて、日記が全く進まないんだ。自分でやってみるからわかるってあるんだがね。
但しやはり筒井が上だなって感じるんだ。やはり改めて筒井すげえってなるんです。
イ段
てなわけで今日のこの文章はなんなんだって思う方もおられると思うけど、書くとすげえ労力が要求されるんだから、件のこの本はすげえでしょってことなんですよ。僕は素直な感想でそう考えるんです。
まあこれと同様な本はもう読まなくても可かなと思うけどね。でも満足なんです。これホント。
アイウエオ段
んんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんん。
こんな胸キュンなストーリーが昭和にあったなんて「七時間半」(獅子文六)
こんな本をちくま文庫は復刊させるんだから好き好き大好き超愛しているってなるんだよ。
『七時間半』 獅子文六
作者は獅子文六。昭和を代表する大衆作家である(今のエンタメね)。まずちくま文庫に感謝。こんなキュートで楽しい小説が残っているんだから昭和文学はやめられない(ちなみに僕は1960から70年代の映画も好き。そう高島忠夫やフランキー堺が全盛の頃である。実はこの作品は映画化されていて、主演はフランキー堺。そしてヒロインは団令子が演じている。やべえ見てえなぁ)。
舞台は特急ちどり。まだ新幹線が開通してない1960年の話しである。ここで客室時乗務員たちが演じる恋の鞘当て。そう、この物語は昭和に書かれた素敵素敵なラブコメディなのである。
あああ、有川なんか読んでいる場合じゃねえぞ。
登場人物を紹介しよう。
主人公。矢板喜一。世界に羽ばたくコックになる夢を描く食堂車の若きコック。
この男に二人の女が言いよる。
藤倉サヨ子。食堂車の給仕を務める責任感の強いウェイトレス。彼女は喜一に逆プロポーズをする。私と一緒に大阪の食堂を切り盛りしてくれ。彼女の実直さ、まじめさに萌えるのよ。今なら綾瀬はるかがいいなぁ。
そしてもう一人はちどりガール(飛行機のフライトアテンダントと同じ)の今出川有女子。彼女は子爵の出身で高慢なビッチタイプ。うーん、奈々緒あたりにやらせたい。実は彼女は三人の男に言い寄られているがそれをするりするりとかわしていく。
言い寄る三人。岸和田太市は大阪のエロオヤジな社長。財力の力で有女子をたらしこもうとする。甲賀恭夫は東大大学院のマザコン学生。彼は有女子に思いを寄せるがいつもママと一緒。まったくどうしようもないチキン。そして結核患者の佐川英二。若きイケメン。彼は結核が治り、それをきっかけに有女子にプロポーズする。
さらには謎の女伊藤ヤエ子、時の首相岡、組合活動に熱心な田所、物わかりの良い上司広田などをのせ特急ちどりは進む。
そう、ちどりはまだ新幹線のなかった時代に東京ー大阪間を七時間半で進むのだ。そしてその七時間半に胸キューンなエピソードがそこかしこなのだ。
いやね、なんて言っても有女子女史。普段高慢ちきな感じの癖に実は弱気、実は臆病。いやん、そこにキューンときちゃうじゃん。最後なんか僕は主人公のサヨ子より有女子萌えですよ。
そして恋をしたりしなかったり。言い争ったり嫉妬したり。いやーん、これぞ昭和の小説。あのね、最近の小説と違ってさりげなく抑制があるのよ。そこがイイ!可愛い!萌え死ぬ!有女子ファイトである。
まあ主人公はサヨ子だけどね。
そして文章が生き生きしていること。ええ?これほんとに昭和?しかも1960年ってまだ東京オリンピックの前だよね。なんかそのころの人たちの鼓動が聞こえてくるようだ。イイねイイね。僕は好きだなぁ。
何にもまして昭和にこんな本が書かれていたことにバンザイでしたよ。僕は今回獅子文六初めてだったけど他の本も読みたくなって仕方ないぞ。調べたらちくま文庫で結構復刻している。いやー、文六ファンになっちゃうよ、おいら、ブラヴォー!
脱帽するとはこういうことだ「夕荻心中」(連城三紀彦)
なんだかんだでミステリがルーツだ。
SFにもふらふらしホラーにもふらふらし実験ブンガクもにやにやし、青春小説や純文学にもにへらと笑うけど結局戻るのはミステリだ。
あれだ、最後は母親の作ったカレー的な。
小学生のころ辻真先を赤川次郎を読んでどっぷりはまり(辻の「仮題中学殺人事件」はいまだに傑作だと思う)、そのまま深谷忠記を読み(「ハムレットの内申書」という本をよんだことあるだろうか。これも大傑作なんだよなぁ)、そして西村京太郎、山村美沙にぐいっと。高木彬光に嵌ったのも小学生のころだった。
中学になるとユーモアミステリでは物足りなくなり海外ものに。御多分に洩れず最初はホームズ(でもそんなに好きでない)。その後クリスティに嵌り度肝を抜かれた。なんだこれはーと(「そして誰もいなくなった」「アクロイド殺し」「オリエント急行殺人事件」「ABCD殺人事件」の四作がかなり好き)。さらにはクィーンを読み読み読み(なんだかんだで「Xの悲劇」「Yの悲劇」あたりが好き)でもなぜかカーにはいかず、フットレルやブラウン神父を読んでにやにやしていた。日本ものでは乱歩や横溝に嵌ったのもこの時期。横溝なんか一日一冊は読んでいた(勉強はどうした!)。
高校になるとSFや山風に浮気をしたがそれでもちょこちょことミステリは読んだ。そして大学に入る直前、アヤツジの「十角館の殺人」を受けて衝撃が走る。なんだこれーーーーーーーー。新本格すごくないって思いどっぷり新本格に。
アヤツジ、法月、有栖川、我孫子、芦部、北村あたりを貪るように大学時代。当時日常の謎はまだ珍しく、北村の「空飛ぶ馬」を読んでこれぞミステリの新世紀だとおもったりして。
そして新本格の祖が泡坂、連城だと聞いて慌てて読んだのが大学4年のころだったかしら(大学院入試はどうした?)。そのまま大学院でもミステリを暇があると読んでいた。
そして今に至る。
三つ子の魂百までとはまさにこのこと。 当然紹介するのはミステリだ。しかも思いっきりなミステリだよ。
「戻り川心中」の続編。
『夕荻心中』連城三紀彦
花葬シリーズ追加編。戻り川が大好きなら是非読んでほしい作品である。
あのね、連城の凄さって
人間書いても
恋愛書いても
憎悪書いても
結局は全てミステリに奉仕するための道具に持ってきてしまうことなんだ。ここらへんが松本清張ひゃや水上勉と大きく違うところなのね。そう、すべてはミステリ原理主義なんですよ。
今作は3つの花葬シリーズもおまけのコメディが三本(これは正直いらないけど)。
その花葬シリーズがどれもどどどどどどって出来で読んでいて平伏してしまう。いやこんな凄まじいミステリ書かれたらあとのミステリ作家は書けなくなるよ。
3本どれもいいが僕はとくに「花緋文字」の凄まじき逆転にもうメロメロ今井メロである。いやミステリだから詳しくは書けないけどさ、もう今までの視点の反転が読んでいてくらくら。これミステリ読みでない人が読んだら怒る展開だけどミステリ読みは本当に好きなはず。たまんないね。まだ未読なら是非読んでくださいよ。3篇とも凄まじき緊張度でロジックが展開します。「戻り川心中」とともにどうぞな作品だ。
ボーナストラックの「陽だまり課事件簿」は正直いらないけどね(いやこれはこれで楽しいんだけど、凄まじい映画見せられた後に橋田ファミリー劇場見せられるのはちょっとなという感じです)。
というわけで僕のルーツはやはりミステリなんです。え、でもお前のルーツは筒井でないの?と言われるとそれはそれで悩ましい。
あれです、生みの親と育ての親的な感じで←うまくまとめたつもり。
たまには少年の気持ちで「車のいろは空のいろ」(あまんきみこ)「くーねるまるた」(高尾じんぐ)
僕はもともと食事系の漫画に弱い。「花のズボラ飯」「ラーメン大好き小泉さん」「ワカコ酒」「幸腹グラフティ」「孤独のグルメ」「駅弁ひとり旅」「酒のほそ道」「クッキングパパ」・・・いや根っこが食いしん坊なんであろう。とにかく食事の漫画は結構読んでしまうのだ。
でこの本。
主人公のマルタはポルトガル人留学生。貧乏な彼女が作る食事がどれも美味しそうで涎ずずずって成るんだけど。
ただこの本の面白さはそこだけではない。
彼女は日本文学も好きで(とくに児童文学)、ところどころで食事と絡めて日本文学がでてくるのだ。
井上靖の「しろばんば」のらっきょうのシーンからカレーがでてくる。
今江祥知の「山の向こうは青い海だった」を読みながら鯵ごはんを炊く。
西村繁男の「夜行列車」を読んで上野に食材を買いにいく。
新美南吉の「ごんぎつね」を読んで油揚げ入りのごはんを炊く。
高村光太郎の「智恵子抄」を読み、そのまま梅酒で一杯。
どれも懐かしくて懐かしくて腹が捩れるほどだよ←使い方間違え。
そしてこのマンガではあまんきみこについても書いてある。
と思い、アマゾンでポチリ。
届きましたがな。
「これはレモンのにおいですか?」
「いいえ、夏みかんですよ」
久々に読んでみてそっかこんなにファンタジー色つよかったっけと吃驚。タクシー運転手松井さんが遭遇する不思議な事件の数々。けっしって一つ一つの出来事は派手ではないけれどなぜかこころをうつんだよなぁ。
読んで驚いたのはあまんさんは結構いろんな文章の書き方をしているということ(言語実験と言ってもいいかな)。改行で台詞が模様になっていたり、文字のフォントを小さくすることで声が小さくなるところを表現したり。あるいは文字をゴシックにすることで声が大きいことを表現したり。
漫画ではあたり前の技法だけどこれを小説でやるのは楽しいなぁ。子供たちがすぐわかるような気遣いがそこかしこに見られるんだ。
そしてさりげなくメッセージも添えられて。「すずかけ通り三丁目」では戦争の怖さをさりげなく表現、「くましんし」では自然破壊とそれに伴う考えを「押しつけがましくなく」するっと入れる。ここらへんはあまんさんの平衡感覚の上手さ。
当然物語も面白い。いつの間にかきつねの国に入ってしまう「本日は晴天なり」は落語の一眼国であろうか。きつねの国に行けばしっぽがないのが「普通じゃない」んだよ。
表題作は一篇の絵を見ているかのよう。白いぼうしの中に夏みかんが入っているのだけでも絵にかいたら映える気がするんだよね。情景がまざまざと。
挿絵は北田卓司(いわさきちひろではなかった)。この朴訥な絵も楽しい。こんなカラーページもあったりして。
こころ洗われてほっとする。マーマレードのジャムでパンを食べたい。