ガーリッシュとは・・・「世界小娘文學全集」(千野帽子)
ガーリッシュなアナタに百万本の赤いバラをあげよう。
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お前は布施明か。
さて
僕はもともとオタクの気質があるのかガーリッシュな小説に甘い。というか弱い。まあ何を持ってガーリッシュというかは難しいんだけど(そこのところは突っ込まれると困るんで突っ込まないこと)、ガーリッシュな主人公は自然と応援してしまうという悪い気質がある。これ萌えな四コマ好きなのとなんら変わんない気もするんだけど。
でミステリでガーリッシュと言えば仁木悦子だ。「猫は知っていた」なんかで有名だがおきゃん(死語だ)な妹の登場するこのシリーズはなんとも危なっかしくそれでいてひたむき。ガンバレガンバレと応援してしまいたくなる。
最近なら北村の「円紫シリーズ」なんかもまさにガーリッシュ。ただし北村のガーリーは男の目から見た「無垢」はこうあるべきだのガーリッシュなんだよな。僕はそこそこは好きなんだけどどうにもしらっとしてしまう。
それに比べると加納朋子はその「インチキ臭さ」がない気がする。「ななつのこ」や「魔法飛行」は非常に共感が持ててしまう。そこらへん等身大な感じもするんだよ。
翻ってSFだったらやはり筒井の「七瀬三部作」。これはありだよなぁ。僕はこのシリーズが大好きです。とくに二作目の「七瀬ふたたび」は涙なくして読めなくなっている。同じ題材だけど宮部の「クロスファイア」はちょっとこっちを泣かせすぎなんだよな。なんだかなぁ、阿藤海になってしまうんだ。まあ好きだけどさ。
純文学ならなんだかんだでガーリッシュなのは谷崎潤一郎だと思う。「細雪」を思いつく人がいるかもしれないが僕はあえて「少年」をあげる。これいいんですよ。谷崎の妙に悪魔的なところが垣間見えて。こんなの読むとやはりは只者ではないなって感じになるんだよなぁ(ただしこの人の作品を教科書で教えていいかと言われると疑問。こんな危険な作家を読め読めって言ってしまうのはどうなんだろう)。
あと密かに安部公房の「密会」はガーリッシュで大好きな小説だ。手足が溶解して真ん丸になっていく少女がでてくるのだが彼女の生き方にドキリとする。あれ、でももはやガーリッシュとはなんか違う気がするんだけど気のせいか。たんに俺が好きな小説になっているぞ。
閑話休題
というわけなんだけど僕は海外の小説にはとんと弱い。でこんな素敵なガイドブックがあるんで読んでみた。
『世界小娘文學全集』千野帽子
『地下鉄のザジ』『ティファニーで朝食を』『高慢と偏見』『愛人』・・・・この本、まずガイドブックとしてとにかく素敵。著者の千野が愛してやまないガーリッシュな小説をこれでもかこれでもかとおしてくる。残念ながら僕は海外文学の素養がないのでほとんど未読なんだけどどれも読みたくて仕方なくなってしまう。
ただこの本の良さはそれだけではない。
著者の千野の「ガーリッシュ宣言」がぐいぐい心に響くのだ。
「世界に対していらだったり、社会のルールとぶつかったり、更には自分が女の子であることにいら立ったり」
だからガーリッシュな宣言はある意味非常に厳しい立ち位置だ。「志は高く、心は狭く」その痛いまでの千野の一途さに平伏してしまう。
そしてこの本はガーリッシュの皮をかぶりながら著者の千野が本とどう向きあってきたか(いや格闘してきたか)という本でもある。千野は痛々しいまでに真摯だ。そしてその真摯さは千野本人にブーメランで突き刺さる。でも千野は本を読むことをガーリッシュであることをやめない。その姿勢にちょっともらい泣きまでしてしまう。そんな本だ。
「どんな本と付き合ってきたか」よりも「本とどんな付き合い方をしてきたか」を千野は大切にする。だからとても丁寧だ。そして本当に本が好きなんだろうなと月並みながら思ってしまう。良い本だよ。
志は高く、心は狭く・・・ちょっといい言葉です。志低く心広いだけの(実際無関心なだけの)草臥れたオヤジとしては背筋がしゃんとなる本だったんですよ。
ええ、天保山より低い志のおっさんの感想でもあるんですよ。
流行ってわけでないけど「火花」又吉直樹
実はけっこう前に文學界で読んだのだが・・・その時は立ち読みで読んだためだいたいなラインしかつかんでなかった。
で、ちゃんと読もう、ちゃんと読もうと思い、購入。ちゃんと読んだのですけど
まず結論。芥川でもおかしくないぜ。
『火花』又吉直樹
僕は密かに芥川賞受賞作を読むのが趣味なのだが、ここ数年の作品に比べてもかなり出来がいい。西賢の「苦役列車」や吉村の「ハリガネムシ」には及ばないものの十分、受賞に値するレベルだと感じた。少なくとも「乙女の密告」「abさんご」「終の住処」なんかよりはよっぽどいい。最後に違和感がでるものの途中までの苦悩なんかについてはかなり高評価。花村の「ゲルマニウムの夜」を読んだときと同じような「やるせなさ」を感じた。
主題はなにか違和感を感じて「芸人」をしている主人公とそれに絡む神谷先輩のつきあいだ。
まず達者だと思ったのは神谷と主人公の対話。ここで又吉はロジカルな饒舌を展開する。つまりは漫才師とは何なのかという会話なのだが、そこに語られる真実は「自己表現とはどうあるべきか」だから二人の会話は全ての創作、表現をするものにとって非常にスリリングなものになっている。
そして処々ででる主人公の苛立ちと苦悩。いや苦悩なんて使いふるした言葉はやめよう。敢えて言うなら違和感ともいうべきか。そしてその違和感にたいしつっかえながらもなんとかしようと思っている主人公がなかなかよい。
さらにこれは又吉だからこそ書くことができるのだが芸人小説としてもよい出来なのが嬉しい。正直芸人を主役においた本はやまほどあるが(たとえば山本幸久の「笑う招き猫」なんかそうね)たいていギャグが寒いのだ。読んでいて楽しいのにギャグのシーンで文字通りシーンとなる。なんだこんなコントで笑うやついるのかよって。
でも又吉の書いているギャグのシーンはそこの違和感がない。餅は餅屋とはよく言ったものだなぁと思う。だからか読んでいても非常に安心できるし、そこでリアリティが崩れない。これは大事なことなんだよ。
ただ瑕疵がないわけではない。まず一点はあまりに正統派すぎて読んで気恥ずかしいことが挙げられる。だって気づきません?主人公が今の自分に悩んでいて、更には困惑していて・・・ってこれ太宰ですよ。そして梶井ですよ。つまりは又吉はほんとにど直球な「悩める自分」の純文学を持ってきてしまったんです。いや、これは今までも書かれすぎなテーマだろ。太宰→梶井→中島敦ときてその後多くの作家が垢まみれにしてきて最近ではラノベですら西尾が得意としている「悩める自分」。申し訳ないが結構厚顔な人かラノベでないと書けないと思う(ここでラノベ批判)。最近の純文学作家なら花村萬月の「皆月」がこれにあたるが花村作品のがダイナミズムが上。つまり又吉のこの作品は太宰の悪き模倣になってしまってないかと危惧することがある。
そしてラストを安易に逃げこんだこと。まあ読んでない人もいるのでここには書かないがどうも最後は「わかりやすい」物語に逃げてしまった感がある。僕はこれは駄目。最後に「決着」をつけようとしてしまい、そこを簡単にしてしまった又吉の責任はあるんだ。
とぐだぐだ書いたけど、正直小説として悪くはないし、芸能人の書いたレベルとしては最上である。文句いいつつも僕は読んでいてぐっとしてしまった。ただ、又吉、かけること全部吐き出してないかと老婆心ながら心配になる。どうもこんだけ材料書いたら二作目は書けないんじゃないの?ってね。
僕の中での芸能人小説レベル
「マボロシの鳥」(太田光)<「KAGEROU」(斉藤智弘)<「陰日向にさく」(劇団ひとり)<<<<<<<<<<「火花」(又吉直樹)<「ロッキンホースバレリーナ」(大槻ケンヂ)
って感じかなぁ。あ、小説ではないけど自伝として松野大介の「芸人失格」がある。これ、なかなか凄い本なんだけどなぁ。
ただ一言。
読む価値はあるよ。二作目は出ないのかなぁ。出せばいいのに。
癒される~「ニコタン」
新潟は新発田の駅を降りててくてくと30分(結構あるんだけど)。
そこにこれはある。
にっこり笑顔のガスタンク。ニコタンである。さあ近くに寄ってみよう。
慈悲溢れる笑顔にこちら側も自然笑顔になる。
近く過ぎると何が何やらだけどね。
新潟に行った際は是非近くまで寄ってみるべし。心が安らぎますよ。
珍スポットの癒し系。星☆☆
動物を飼うってことです「犬を飼う」(谷口ジロー)
僕は動物が好きです。
ネコが好き、犬も好き。まあ爬虫類も好き。
でも好きだけでは飼えないのが動物だったりします。だって必ずっていっていいほど
動物のがぼくたちより先に死にますから。
でもそのことを受け入れて僕たちは動物を飼うのではないかなと思うんです。彼らの死さえも受け入れて。それができないのなら僕は動物は飼ってはいけないと思うんです。だってそれは単なるわがままでないですか。
死ぬということは綺麗事だけではありません。その過程で僕らはいろんなことを学びます。彼らの苦しさに最初は共感し、でもなんで自分がなんてことも思い、更には少し面倒になり、こんなことなら飼うんでなかったとまで思ったりして、でも
悲しくて悲しくて悲しくて
それが「飼う」という行為なのかなと思います。
『犬を飼う』谷口ジロー
漫画です。飼い犬のタムが年老いていき亡くなるまでの姿を丁寧に書き綴っていきます。谷口はきれいごとだけは書きません。
タムが死ぬ数か月まえから足腰が弱ってきたこと、粗相もするようになってきたこと、そして飼い主がそれに対して「面倒だな」と思うことまで谷口は描きます。
このマンガは決して綺麗な漫画ではありません。まして楽しくもありません。しかし心はうたれます。生きていくことはこんなにも気高いんだとふと思ってしまうんです。
沼田まほかるの「猫鳴り」が猫の死を丁寧に描いた小説だとしたら、この「犬を飼う」は犬の死を丁寧に描いた本です。どちらも僕が大好きな本だということは言うまでもありません。
どちらの本でも、僕はその「気高さ」に涙します(涙するなんて陳腐な表現で申し訳ありません。でも本当に涙するんです)。
そして生き物を飼うということはその生き物の「イノチ」を飼うことなんだと再確認するんです。
読みやすさの素晴らしさ「ガール」(奥田英朗)
奥田英朗は手練れである。
特に群像劇を描かせると上手い。正直ホームランこそないものの確実にヒットを売ってくる。安定感アリアリである。だから安心して読めるのだ。
さらに少しだけ「優しい」のもいい。あの「ララピボ」ですら僕は優しいと思った。だって人とかがほんとに悲惨な目には合わないんだぜ。そこらへんのPKO・・・違う、TPOも奥田はしっかり守っているんだなぁと思うのだ。
『ガール』奥田英朗
上手い。
まず小憎らしいほど、バブリーな女たちがいいじゃないか。そこそこいい会社で働いて結構いい給料もらって(確実に僕より上だ)、でも結婚できなくていしししとなるんだよ。で、これが角田光代だととんでもないレベルまで追い込むんだけど(角田は最後に突放す)、でも奥田は優しいんだ。最後にぐっとくる逃げ道を用意する。そこがほんとに上手なのね。
だから読んでいる僕らも安心する、まだまだ人生捨てたもんじゃない、すすめーってね。そこの優しさで奥田を読む人もいるんじゃないかしらんとふと思う。
話しは全部で5つ。年上の部下のできた女上司、マンションを買おうとする女、バブル過ぎた三十過ぎのもう若くはないって女、シングルマザー、そして若い部下にのぼせ上がる女。
どれも一癖二癖でその女たちをおちょくり、乱し、混乱させながらも最後には「そこそこの優しさ」を用意する。それが奥田の上手さだ。取り立ててな話しではないけれどそこに安定感があるんだよ。
考えてみれば「家日和」でも「我が家の問題」でも「ララピボ」ですらも、奥田は決してそんなに派手でないことを扱っていた。それはこの作品もそう。だからこそ等身大、だからこそ現実的って訳なんだよね。僕はこんな奥田が好きだ。
もう一個褒めるところ。文章の上手さ。この流れるような安定感はなかなか書けない。あのね、軽妙な文体ってのは読んでいる人が「止まらない」ってことなわけ。それを奥田は難なく再現しているんだよな。だからストレスフリーで読める。これ実はエンタメではかなり大事でこのような文章を書ける作家はなかなかいない(特にミステリではいない。無念)。伊坂や道尾でも僕はたまに止まってしまう。ここまでするっとかけるのは宮部くらいじゃないかしらんってふと思うんだよな。
実験くん~「女子中学生の小さな大発見」(清邦彦)
仕事で中学生に教えていますけど、たまに「よくそんなこと思いつくな」って時もあるんですよ。僕だけではなかったのね、思いついたのは。
『女子中学生の小さな大発見』清邦彦
身の回りの疑問と感動から「理科」は始まります。なんとも言えないくらいクスッとしてたまにその発見に驚いてしまう。これ実際に女子中学生が発見したりやったりしたこと。こんなことからも「科学」は見つかるのかも。
以下抜粋
Sさんはお風呂に入ると体が柔らかくなるというので前屈をしてみると本当に柔らかくなっていました。
Eさんはシラスの数を数えました。10gだけでも193匹いました。
Tさんは魚は体温を周りの温度にあわせられると聞き、金魚を冷凍庫に凍らせ、次に熱湯を注いでみましたが死んでしまいました。飼い主の妹に怒られました。
Tさんはミノムシのフンを観察しました。毎日少しづつ大きくなっていました。
Mさんは温泉の水2㍑を煮詰めて温泉に溶けている物質をとりだしました。ほとんど塩だったそうです。
Sさんは東京の寄生虫博物館で8.8メートルのサナダムシなどを見て、そうめんなどを食べる気がしなくなったそうです。
Nさんは夏の車の屋根で目玉焼きを作ろうと、4時間置きましたが乾いて固まっただけでした。そこで次は車の中でゆで卵を作ろうとしましたが59度までしか温度が上がらず、失敗しました。
Oさんは河原で石炭を発見しました。でもお父さんは「それは春のバーベキューの跡だ」と言ってます。
Kさんはお正月の酔っ払いの観察をしました。「帰る」と言って30分飲んでいて、また「帰る」と言っても帰らず、1時間たって三回目の「帰る」で帰りました。
Iさんはご飯を何回噛んだら甘くなるか調べました。10回では変化なく、30回ではちょっと甘く、50回では甘く、80回ではさらに甘くなりました。100回では口が疲れてしまいました。
Sさんはプラグのわれたところを持ってコンセントに差し込んだら、痺れて結構痛かったようです。危ないからもう実験しないでくださいね。
くすくす。ついにこりと笑ってしまう本です。中学生のころはこんなことを思いついたんだなぁとしみじみ。懐かしい。いつまでも好奇心を失わないでいたいものです。
といいつつ自分もいつの間にか中年通り越しているからなぁ。工員矢野ゴト師。