本と珍スポと教育と

本について語ります。珍スポットについて語ります。あとたまに教育について語ります。ゆるゆるとお読みください。

流行ってわけでないけど「火花」又吉直樹

実はけっこう前に文學界で読んだのだが・・・その時は立ち読みで読んだためだいたいなラインしかつかんでなかった。

で、ちゃんと読もう、ちゃんと読もうと思い、購入。ちゃんと読んだのですけど



まず結論。芥川でもおかしくないぜ。


『火花』又吉直樹

僕は密かに芥川賞受賞作を読むのが趣味なのだが、ここ数年の作品に比べてもかなり出来がいい。西賢の「苦役列車」や吉村の「ハリガネムシ」には及ばないものの十分、受賞に値するレベルだと感じた。少なくとも「乙女の密告」「abさんご」「終の住処」なんかよりはよっぽどいい。最後に違和感がでるものの途中までの苦悩なんかについてはかなり高評価。花村の「ゲルマニウムの夜」を読んだときと同じような「やるせなさ」を感じた。

主題はなにか違和感を感じて「芸人」をしている主人公とそれに絡む神谷先輩のつきあいだ。

まず達者だと思ったのは神谷と主人公の対話。ここで又吉はロジカルな饒舌を展開する。つまりは漫才師とは何なのかという会話なのだが、そこに語られる真実は「自己表現とはどうあるべきか」だから二人の会話は全ての創作、表現をするものにとって非常にスリリングなものになっている。

そして処々ででる主人公の苛立ちと苦悩。いや苦悩なんて使いふるした言葉はやめよう。敢えて言うなら違和感ともいうべきか。そしてその違和感にたいしつっかえながらもなんとかしようと思っている主人公がなかなかよい。

さらにこれは又吉だからこそ書くことができるのだが芸人小説としてもよい出来なのが嬉しい。正直芸人を主役においた本はやまほどあるが(たとえば山本幸久の「笑う招き猫」なんかそうね)たいていギャグが寒いのだ。読んでいて楽しいのにギャグのシーンで文字通りシーンとなる。なんだこんなコントで笑うやついるのかよって。

でも又吉の書いているギャグのシーンはそこの違和感がない。餅は餅屋とはよく言ったものだなぁと思う。だからか読んでいても非常に安心できるし、そこでリアリティが崩れない。これは大事なことなんだよ。

ただ瑕疵がないわけではない。まず一点はあまりに正統派すぎて読んで気恥ずかしいことが挙げられる。だって気づきません?主人公が今の自分に悩んでいて、更には困惑していて・・・ってこれ太宰ですよ。そして梶井ですよ。つまりは又吉はほんとにど直球な「悩める自分」の純文学を持ってきてしまったんです。いや、これは今までも書かれすぎなテーマだろ。太宰→梶井→中島敦ときてその後多くの作家が垢まみれにしてきて最近ではラノベですら西尾が得意としている「悩める自分」。申し訳ないが結構厚顔な人かラノベでないと書けないと思う(ここでラノベ批判)。最近の純文学作家なら花村萬月の「皆月」がこれにあたるが花村作品のがダイナミズムが上。つまり又吉のこの作品は太宰の悪き模倣になってしまってないかと危惧することがある。

そしてラストを安易に逃げこんだこと。まあ読んでない人もいるのでここには書かないがどうも最後は「わかりやすい」物語に逃げてしまった感がある。僕はこれは駄目。最後に「決着」をつけようとしてしまい、そこを簡単にしてしまった又吉の責任はあるんだ。


とぐだぐだ書いたけど、正直小説として悪くはないし、芸能人の書いたレベルとしては最上である。文句いいつつも僕は読んでいてぐっとしてしまった。ただ、又吉、かけること全部吐き出してないかと老婆心ながら心配になる。どうもこんだけ材料書いたら二作目は書けないんじゃないの?ってね。

僕の中での芸能人小説レベル

マボロシの鳥」(太田光)<「KAGEROU」(斉藤智弘)<「陰日向にさく」(劇団ひとり)<<<<<<<<<<「火花」(又吉直樹)<「ロッキンホースバレリーナ」(大槻ケンヂ

って感じかなぁ。あ、小説ではないけど自伝として松野大介の「芸人失格」がある。これ、なかなか凄い本なんだけどなぁ。




ただ一言。

読む価値はあるよ。二作目は出ないのかなぁ。出せばいいのに。

 

火花

火花