本と珍スポと教育と

本について語ります。珍スポットについて語ります。あとたまに教育について語ります。ゆるゆるとお読みください。

拘置所にいってきた「東京拘置所」

小菅駅で降りる。

此処にはあの東京拘置所がある。ほら見えるでしょ。プテラノドンの独特な建物が。

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だいたい小菅駅からしてとんでもなく「拘置所」的な駅なんだけど。ここ、拘置所使う人がメインなんではないかな。

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駅から歩くとすぐ正門が。ここからは関係者以外入れない。職員の様な人がコンビニ弁当を提げて入っていた。

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裏手に回る。

ここから面会者は入る。どう考えても堅気でない人が三人、入っていった。うーん、目を合わせないでおこう。

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面会入口の前には売店が。古い!ここで買ってみんな持っていくのだ。

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売っているものはこれ。渋いなぁ。ゆでたまごってところが泣かせるじゃないか。

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差入店の周囲には怪しげな食堂、怪しげなラーメン屋、怪しげなコーヒー屋。きっと娑婆にでた高倉健はまずここで食事をとったのだ。
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ここには未だに3000人もの受刑者や死刑囚、未決拘束者がいる。オウム事件はほぼここにいるし、連合赤軍坂口弘もここ。あとアキバ大量殺傷事件の犯人もここだ。

以前は田中角栄をはじめ鈴木宗雄、ホリエモン押尾学なども拘禁されていた。

今日の本はこれ。

『死刑囚最後の瞬間』大塚公子

戦後をにぎわせた死刑囚、義展ちゃん誘拐殺人、ホテル日本閣殺人事件、連続婦女暴行殺人事件大久保清や少年ライフル魔の片桐操など、その死を克明に追っていくルポタージュである。

とにかく、拘禁が決まってから当日までほんとに克明なのがいい。多くの死刑囚は死を悔い、懺悔し、死刑を受け入れる(まあ中には大暴れをしたり悪態を突いたりして死ぬのもいるが)。それはまるでがん患者が癌を受け入れるのと似ている。キューブラー=ロスの語る「死の受容プロセス」にも似ている行為だと思う。

この本では古い死刑囚が多いので死刑宣告は前日にされる。今では当日いきなりきて死刑が執行されるので、時代も違う。受刑者たちにとってはいろいろ考える時間がある前日のがイイのではないかなとふと読んでいて思った(ただ前日伝えたら自殺してしまった死刑囚がいたので当日通達になったのだ)。

全体的にルポとしてとても良くできているが一つだけいただけないこともある。それはこの本が明らかに「ほら、死刑は残酷でしょ。死刑反対!」って展開になっていること。いやもともと人を殺すんだから残酷に決まっている。でもそれでも気持ちの問題はどうなるのか。僕は死刑賛成論者であるのだが、どうもこの展開にはうんざりする。最後なければ良かったのになぁ。僕は死刑はこんなにひどいことだからこそ、存続される「意義」を考えなければいけないと思うんだけど。

 

死刑囚の最後の瞬間 (角川文庫)

死刑囚の最後の瞬間 (角川文庫)

 

 






死ぬ前はだいたい天丼かおすし。天丼は「天国」に行けるためのゲン担ぎらしい。この日、僕も天丼を食べてみた。天国に行けるかしらん。