本と珍スポと教育と

本について語ります。珍スポットについて語ります。あとたまに教育について語ります。ゆるゆるとお読みください。

東京エレジー「東京人のしきたり」(大野益弘)「終点のあの子」(柚木麻子)

東京っていっても西東京と東東京はけっこう違うような気がする。

僕は生まれも育ちも東東京(しかも浅草は吉原という見事な環境の悪さ)。ここらへんは所謂「東京人」ってよりは「江戸っ子」なラインではないかと思っている。

ちなみに江戸っ子の認定は

三代続けて下町に住んでいること(この下町の定義も難しいが、物の本では僕の住まいだったとこは下町ではないそうだ。神田、日本橋などほんと狭いエリアだけなのである)。まあ最近では葛飾まで下町だけどさ。

だそうだ。ぎりぎり僕は江戸っ子になるのかな。爺さんもオヤジも東京だし。ま、そんな僕も今はすっかり千葉暮らし。親戚に言わせると都落ちらしい(そんなこと言う輩にはローリングソバットをかましてやりたい)。

で、そんな「江戸っ子」と「東京人」は違うの。東京人は基本、西東京に住んでいる人。そして東京的な「含羞」がある人。これこそが「東京人」な感じがするんだけどな。

ちなみに僕は東京出身だけど大学に入るまで新宿より西に行ったことがなかった。いや、新宿渋谷ですらほとんど行ってない。基本、上野、浅草、銀座、日本橋、神保町。この5大都市で全てを賄っていた気がするのよねん。大学に入って初めて新宿の向こう側に行ったという・・・(明大前だったんで)。なんか異世界だったよなぁ、西東京

というわけで今日は東京の本を。


『東京人のしきたり』大野益弘

まあ、この本にも書いてあるね。江戸っ子と東京人は違うって。そうそうその通り。そしてこの本、ああ東京ってこんな感じだよなぁと実に面白い(これは東京に住んでいる方には読ませたいぞ)。

例えば

「バスは怖い乗り物です」わかるーーー。東京に住んでいたけどバスってほとんど乗ったことない。たいていは地下鉄。だってバスってどこでお金払っていいか良く分からないんだもん。結構苦手です。

「面倒なことにかかわりたくない」ああ、これも分かるなぁ。下町だとおせっかいな人も多いんだけど基本は「我関せず」。あっしにはかかわりのないことでござんす。気分は木枯らし紋次郎

「マイカーは持たない」そうそう、東京に住んでいる人って基本車持ってないことが多いんだよね。自分の友人も結構稼いでいるんだけど車は持ってない。あのね、公共交通機関がそこそこあるから基本それでいくんだよね。

「東京人は良く歩く」はい、僕も基本徒歩です。地下鉄の乗り換えなんかでも下手すると300メートルクラスはざらだしね。歩くことこそザ・東京って思ってしまいます。

「東京人は東京の名所を知らない」これも分かる。まあいかないですよ。それより近くのここでいいじゃんって感じになるの。僕自身、いまだにスカイツリーには登ったことないしね。東京タワーは下の蝋人形館が好きで行っていたけど正直、上には行ったことないぞ。しかも西から東、東から西なんていったらまずいかない。そんなもんですよ。

「値切らないしそもそも値切り方を知らない」これも分かるなぁ。うちのオヤジも車買うとき言値で買ったっていってたよ(アホだ)。でもそんなものなんだよね。だいたい酉の市なんかでも値切ったあとにその分お祝儀であげるって意味不明な習わしまであるし。


と、読めばニヤニヤする本です。東京に住んでいる方はぜひぜひ。東京あるあるですよ。

 

 

 





で、もう一冊。

『終点のあの子』柚木麻子

柚木さんの本を讀んでまず思ったことが、「この人、西東京出身だよね」。そうそんな感じがまず伝わってくるの。舞台は世田谷。どこらへんだろう。以前「王妃の帰還」を読んだときも、ああこの人は「西東京の雰囲気が上手い人だ」って思ったし。

しかし、なんでこの作者はこんな「機微」がわかるんだろうねえ。読んでいて、「ある」って思えてしまうことが怖い。高校生を書かせると上手だなと思ったのがまずの感想(ちなみにまだ2冊しか読んでないけど)。

4つの短編だけど、内容は微妙にリンクしている。僕は特に「甘夏」に痺れた。この感覚は分かるんだよねえ。そして「ほっといてくれ」って感じが東京っぽいんだよな。

とっても痛い作品だけど(解決しないし)、僕は妙に清々しさを感じてしまった。この解決しないところもアリだと思っている。

 

終点のあの子 (文春文庫)

終点のあの子 (文春文庫)

 

 





まあ、最近はすっかり東京にも行かず、千葉でダラダラしているのでもはや僕は下町っ子でも東京人でもないのだけど。

でもやっぱり東京が好きなのさ。東京だよ、おっかさん。