本と珍スポと教育と

本について語ります。珍スポットについて語ります。あとたまに教育について語ります。ゆるゆるとお読みください。

ニッチなところを埋める本です「新本格もどき」(霧舎巧)

「さあて憑き物落しをするか」そういうとすっくと立ち上がって自慢のシルクハットを彼は直し始めた。お寺の次男坊でもある彼はビールをぐびぐびと飲みながら犯人に対峙する。N大工学部の助教授でもある彼は前職では英都大学助教授でもあった。見た目は30を超えているのにどう見ても20そこそこにしか見えず黒のロングコートを羽織り、自慢の腹話術を使い、警視庁捜査一課の父と話し始めた。彼は父と二人暮らしである。彼の推理の特徴は直観的帰納型推理法だ。今日もワトソン役の石岡とともに推理する。

何人わかる?(10人いるんだけど)

もう新本格が出て四半世紀。思えば十角館が出たのは1988年。いやいやもはや「新」本格とは呼べなくなっているね。

そうするとこんなのも出てくる。

新本格もどき』霧舎巧

新本格をネタにした霧舎のパロディ連作短編。ただしミステリ部分は意外と正攻法だ。題名を見ればニヤリとくる人もいるだろう。

「三、四、五角館の殺人」→綾辻十角館の殺人
「二、三の悲劇」→法月「一の悲劇」
「人形は密室で推理する」→我孫子「人形はこたつで推理する」
「長い、白い家の殺人」→歌野「長い家の殺人」
「雨降り山荘の殺人」→倉知「星降り山荘の殺人」
「13人目の看護師」→山口「13人目の探偵師」
「双頭の小悪魔」→有栖川「双頭の悪魔」

自分は嬉しいことにこの原典は全て読んでいた。よっしゃパロディ読むには最適やん。

この本凝っているのは題名だけではなく中身も完璧なパロディ。「三、四、五角館の殺人」では家の見取り図が書かれ、「二、三の悲劇」ではタームごとに語り手が変わる。「双頭の小悪魔」では信仰宗教の村が舞台になり、「13人目の探偵師」では展開がゲームブックになる。

どれも読んでいればニヤリなんだよなぁ。

でも新本格読んでない人には何がこれ楽しいのって困ったことになる本である。だから読む人は凄い狭い気がするんだけど。自分はたまたま上記の作品を全部読んでいたからかなりにやりとしたけど読んでないとなんだこれってことになるよ。

また霧舎も読んでない人はほったらかしなんだよなぁ。投げっぱなしジャーマン。ところどころにパロディ入れているんだけどそんなのわかる人って数少ないぜ。ほんと読む人が少ない本だよ。新本格読んでない人は回れ右ってなるもんね。なんだこれーって感じだよ。

さらに霧舎はトリック一流、人物二流、文章三流なんで読む人は辛くなる。まあこれは霧舎の本では定番だからね(「カレイドスコープ島」なんか読むとそれはよーくわかる)。ううん微妙。困ったもんだよ。

 

新本格もどき (光文社文庫)

新本格もどき (光文社文庫)

 

 






しかし四半世紀も経っていれば新本格ももう古典の域だね。まったく。そりゃーアヤツジも50代だもんなぁ(しみじみ)。

最近アヤツジの髪って薄くなったと思いません。そりゃーアヤツジも50代だもんなぁ(あらためてしみじみ)

定番だけど好き「マンゴー・レイン」(馳星周)

授業中の一コマ。

けっこうかわいい女子生徒が一言。
「先生、あたしヒニンしてないんです」

ええ、お前なにを言いだすの?ってか授業中にいきなりそんな相談?ってかお前中学生だろ?ダメだ不純異性交遊は?いや今の時代にそれは古いか。。。でもヒニンはしないと責任というものがあってな・・・いやコンドームは買いなさい。いやいや相手は誰だ。お前とヒニンしない相手は?というかなぜここで俺にその相談・・・

猛烈に頭を回転させるオッサン先生。この間わずかゼロコンマ7秒。

「この問題は比で解くんですよね」

ああ・・・「ヒニンしてない」でなく「比にしてない」ね。良かった・・・

こんな盆暗な授業をしています。オッサンです。

で今日の本はヒニンしてないブラックノワール

『マンゴーレイン』馳星周

久々に読んだねえ、馳。

舞台はタイ、バンコク。メイは中国から攫われた美人娼婦。彼女はいきなり娼婦として叔母に売られ働かされることになった。当然ヒニンなども行われず、若くしてエイズのキャリアになってしまった。彼女は全ての男を恨む。

そんな彼女がある客の老人から仏像を受け取った。そこには旧日本軍の残した財宝の地図が。彼女は人生の奪還をかけ、宝を取り戻そうとする。

って・・・仏像から旧日本軍の宝って・・・ルパンかよ!いまどきそんな話を書いてしまう馳に吃驚。おいおい陳腐すぎねえか。

って思っていたんだけどそこは馳ならでは。メイの案内役を引き受けた十河(タイで生まれた日本人)とともに二人は人生の奪還を目指す。その展開がだんだん嵌っているんだよね。

基本、馳なんで暴力満載、死ぬシーン満載、リンチ満載、エロ満載。よしこう来なくっちゃ。しかしブラックノワールを書く作家は馳といい花村といい新堂といいなぜこんなに文章が陳腐なのかしら。もう定番の節回しに苦笑である(でもだんだんその節回しがないと面白くないと感じてしまうのが不思議。まあここはマジック)。

日本軍の宝を追い求めるヤクザ、軍隊などもでてきで事態は三すくみ四すくみ。もうぐっちゃぐっちゃでございます。

そして最期に馳はとっておきの悲劇を用意する。ここが陳腐だけど泣ける。ああそう来たかと。これぞノワールと思い、陳腐だ陳腐だと言っているのに最後は拍手喝采でした。満足かって満足ですがな。おなかいっぱい。

僕は馳星周花村萬月新堂冬樹は日本の三大ノワールだと思ってます。馳を読んだことないなら処女作「不夜城」をおすすめしますよ。これなんだかんだでいいんだから。

 

マンゴー・レイン (角川文庫)

マンゴー・レイン (角川文庫)

 

 







フロイトによれば自分の欲求不満が他者の発言を都合よく性的に解釋するそうです。

滝に打たれてきます・・・

タイムスリップには甘目です「つばき、時跳び」(梶尾真治)

僕はどうもタイムスリップものに弱いんです。

ハインラインの「夏への扉」も大好きだしマシスンの「ある日どこかで」もいい。日本なら北村の「スキップ」も好きだし、荻原浩の「僕たちの戦争」も大好きだ。戦国自衛隊なんか何度見てもなくし、ドラえもんではのびたが結婚するしずかちゃんとお父さんが話すシーンは永遠の名シーンだ。あの盆暗作家、蘇部健一だってタイムスリップ書くと不覚にもぶわっときてしまう。そうそう筒井ならあの永遠のジュブナイル時をかける少女」があるじゃないか。ラベンダーの香りですよ。そうだ、「まどマギ」だってタイムスリップものとしてはとっても良くできている

今回はぶわっと泣いた。

つばき、時跳び梶尾真治

タイムスリップの梶尾といわれるくらい作者はタイムスリップを自家薬篭中にしているが、これもほんとすごいイイのだよ!

舞台は現代。売れない作家の主人公は井納は祖父の実家である「百椿庵」に住むことになる。そこでは地場が乱れ江戸時代の少女(といっても17くらい)つばきがタイムスリップしてしまうのだ。

まず何がいいってつ清潔なのがいい。梶尾は中学生も書かないような純真さで二人の馴れ初めから愛を語る。もうね、汚いことなんかなに一つないのよ。

でさらにいいのはつばきの純真さ。真摯さ。いいなぁ。アイスクリームを初めて食べてほんのりと嬉しがるつばきの描写に何度足をばたつかせたろう。あのね、梶尾は流石にタイムスリップお手の物だからここでこうしてくれーっていうのが非常に上手なのねん。読んでいてもうぐいっと入らされるのよ。これこそ梶尾マジック。

その後、井納は逆に江戸時代にタイムスリップし・・・まあそこからは定番ながら内緒内緒。梶尾はギミックの使い方も上手でところどころに素敵エピソードを入れ込む。これなんかも読んでいるとぐいっと引き落とされるんだよなぁ。

この話、山本周五郎の「その木戸くぐって」を梶尾なりの翻案にしたような感じなんだけどそこのところはどうなんだろうってふと思ってしまった。梶尾の作品って意外と読まれてないんだけど僕は好きだなぁ。SFはロマンチックだということを改めて確認させてくれる良作です。ほんととってもいい気持ちで読み終わったよ。

これ舞台にもなったそうだけど(キャラメルボックス)みたいなぁ。でも映画なんかでもやってほしいと思わせる良作です。主人公はそうね・・・綾瀬はるかあたりがベスト。あれくらい透明感があったほうがいいかも。




しかしタイムスリップはなんでこんなに泣けるんだろうね。いや全く。ちなみに僕の中でのタイムスリップベストは・・・・(この作品は除く。でも確実にベスト5に入るぜ)

1 七瀬ふたたび(筒井康隆
2 夏への扉ハインライン
3 時をかける少女筒井康隆
4 ドラえもん(おばあちゃんの回。のび太の結婚式の回も捨てがたい)
5 美亜に送る真珠(梶尾真治

こんなところか。広瀬正の「マイナスゼロ」を読んでいないのが一生の不覚。。。。

 

つばき、時跳び (平凡社ライブラリー)

つばき、時跳び (平凡社ライブラリー)

 

 

昭和な作品が好きです「駿河城御前試合」(南條範夫)

 

駿河城御前試合 (徳間文庫)

駿河城御前試合 (徳間文庫)

 

 

あまり新刊を読みません。アウト・オブ・デイト。すいませんねえ。

まあ新刊を読まない理由はいろいろあるんですけど(定価では書いたくない、天邪鬼ーみんなが読んでいるものなんか読めるか、時代に追いかけられたくない)、一番の理由は・・・いや昔の作品でも面白いものってありすぎるじゃないってことなんです。

SF、ミステリ、時代小説。どれでも昔の作品のが面白い(いや逝っちゃっていると行った方がいいか)気がする。あのね、今の作品ってよくも悪くも「こなれすぎている」んだよね。まあこれだけネットも氾濫して情報化がバンバン進む社会だからさ、作者もいろいろ考えるわけ。そしてできる作品は良くも悪くもちゃんと無難にこなした「非常に優等生」的な作品ができる。あのね、面白くないって言っているわけではないのよ。ただ、どれも「安定の面白さ」であり破線がないんだよね。

でも昔の作品(昔の作品って言っても昭和だけど)は読めばなるほど、作者が突き進んでしまう作品が多いの。だからもう作者の「これ面白いだろ」ってパワーがぐいぐい伝わってくるんだよね。畢竟、作者もあまり周りのこと考えてないから無茶もするする、ああもうこんなの書くなよーってのも昔の作品は多い。つまりよくも悪くもあたりハズレが多い。ホームランか三振か。なんだこりゃーこれすげえ(あるいは酷い)ってなるわけよ。

ミステリを例にとろうか。今のミステリ作家はなんだかんだで結構考えているわけ。そこにリアリティはあるか密室は前例はないか、人間はかけているか・・・でも昔の作品ってそうじゃないんだよなぁ。作者がおもしろかったらそれでいいじゃん、多少の「不自然」があっても気にしないってなるわけ。「りら荘」(鮎川)なんかもまさにそれでなんで連続殺人起きているのに登場人物たちは逃げないんだろうってツッコミに対しそんなの関係ねえ(小島よしお)と鮎川はぐいぐいペンを進める。

僕が好きなのはこの傍若無人さなんだよなぁ。今この傍若無人が溢れているのは西村賢太だけで米澤も米澤も伊坂もまして道尾もしをんちゃんもみなそこまで横柄でない。サービス精神旺盛でいいのだけどたまには無茶してほしいなんて思ってしまう。




でこれは無茶。そしてすげえええええええええええええええええ。

駿河城御前試合』南條範夫

いや山田風太郎好きなのになんで今まで南條は読まなかった。ほんと反省反省大反省である。いや一読すっかりファンになってしまったよ。

時は江戸。駿河城城主、徳川忠長の前で11番の御前試合が行われる。その11番は全て真剣での試合。11番の「殺し合い」が今行われる。

話は連作短編。11番の試合をそれぞれ南條が描くのだ。といっても試合はせいぜい最後の2ページ。じゃあそこまでは何が行われるか。そう、試合に至る経緯が書かれるわけ。なぜ殺し合いに参加するか、なぜ御前試合で相手を殺そうと思うのか、そこにあるのは人間の狡知、奸悪、覚悟、決意だ。そしてそのボルテージを南條はぎりぎりと高め最後の2ページでえいやって描く。いやぁ、これは堪えられないね。

だいたい第1話から目の見えない男と片腕のない男の対決だよ。しかも目の見えない男は秘剣「逆流れ」を引っ提げてくるし。これでテンションあがりまくりである。

2話目は斬られれば斬られるほど陶酔する男が登場(SM)し、四話目では物凄い醜悪な男が血を這うように相手を斬るがま剣法が披露される。男と女の愛憎も凄まじく、愛すべきレベルが強すぎて敵を応援して殺してほしいと思う女や自分のプライドのために男を翻弄する女が登場する。

そして

最後はみな切られて死ぬわけよ。いいなぁ、酷いなぁ、無情だなぁ(稲川淳司)。これ漫画にもなっているらしいので(シグルイの作者らしい)そっちも読みたいぞ。

大満足、星五つです。



ちなみにロクの好きな昭和作家は

ミステリ編
高木彬光・・・トリックがとんでもない。
泡坂妻夫・・・これぞミステリ。これぞトリック
連城三紀彦・・・愛とミステリ
鮎川哲也・・・Mr.本格

SF編
筒井康隆・・・これだけ逝ってしまっている人はいない
小松左京・・・大仕掛けならこっち
星新一・・・ショートショートの神様
横田順彌・・・ゲラゲラならこちら

時代小説編
山田風太郎・・・忍法帳は読まずに死ねるか
宇能鴻一郎・・・エロもだけどね。頭いいのにエロばかり


これに南條も加わったよ。ほんんと読まずに死ねるか!である。

 

 

げーむの楽しさ「盤上の夜」(宮内悠介)

頭を使うゲームが好きだ。

将棋は子供のころからやっていた。好きな戦法は中飛車。でもヘボですぐ守りがおざなりになる。未だに下手の横好きで守れずに爆死ってことが多い。たまに穴熊をやろうとすると完成する前に攻められてしまうというヘボ加減だ。

自慢は森内名人と将棋を指したこと。弟が同じ大学だったのでそのつてでやることができた。まあ六枚落ちでけちょんけちょんでしたけどね。プロってほんとすごいぜ。

麻雀は高校のころ大嵌り。休みになると麻雀ばかりうっていた(高校生はやってはいけない)。雀荘にもちょくちょくいき、フリーで打つ。好きな戦法は守備系。とにかく相手の手を読んで打つのが好きだった。

麻雀放浪記に憧れ何度かは鉄砲で打ちに行った(お金を持たないで打ちにいくこと)。新宿の雀荘のトイレから逃げたのはいい経験である(懐かしい目)。雀ゴロ気取りだった。鉄砲であることがバレ、ここでは書けないくらい怖い目にあったこともいい経験である(懐かしい目)。今はせいぜいネット麻雀くらいしかしなくなったぞ。

囲碁は一番ヘボ。まあ定石とかもロクに知らないしね。いまだにスマホのコンピューターにけちょんけちょんに負ける。なんだよ、もう。でも年とって囲碁趣味ってのはなかなか楽しそうなんでしっかり覚えたい今日この頃である。


というわけで僕はこれが大好きだ。この本はほんとすげええええええええ。

『盤上の夜』宮内悠介

将棋、囲碁、チェッカー、チャトランガ、麻雀を題材にしたSF短編集。いや自分はすげえと思ったけどこれそのゲーム知らない人にはちょい辛いかも。

「盤上の夜」表題作。四肢のない碁打ちの話し。もうその設定だけでも自分ではどきゅーんである。最後の優しさが刺さる。

「人間の王」チェッカー世界一の男とそれに対決するコンピューターの話。コンピューターは人を越えるのか・・・SFの基本命題ながらとっても楽しめたスリリングな一篇。完全解のあるゲームはゲームでないがその完全解を出してしまうコンピューターに畏怖する自分がいる。

「清められた卓」もう大好き。麻雀は理知なのかオカルトなのか、そこにずるっと宮内はメスを入れる。自分はこれを読んで片山の「ノーマーク爆牌党」を思い出した(麻雀漫画ではいまだに最高傑作と信じている)。ときにオカルトは理知を越える。そしてこの癒しの物語に泣く。「生きるっていうのはどういうこどとだい。記憶を重ねること。そうだろう」この言葉をつぶやく麻雀プロに嫉妬した。

「象を飛ばした王子」この作品集の中では一番ぴんとこなかった。でもそれは僕がチャトランガを知らないからかもしれない。

「千年の虚空」将棋を打つ弟、将棋を駆逐しようとする兄。そして二人を翻弄する女。もうこの設定だけで神話的だ。歴史学から世界を崩すなど神話的な展開も半端ない。ただこれはもう少し突っ込んで書いて欲しかった。この素材だけで長編が書けるとおもうんだけどな。

「原爆の局」ボーナストラック。四肢のない碁打ち有宇のその後と原爆の際に打っていた碁の話。事はなんだと思いますか「9割の意志と1割の天命です」

いやぁ、堪能しました。とくに「清められた卓」は凄いねえ。だって東を切って東をポンするんだよ。僕はこれ大好きだなぁ。

これ以外にもトランプ(ポーカー)やバックギャモンをネタにかいてもいいんでないのってふと思ってしまった。たぶんゲームが好きでない人には対して面白くないかもしれないが、ゲーム好きなら抜群に魅かれる物語である。すげえぜ。

 

ああ、麻雀したくなった。久々にフリーに行くかな。。。

 

盤上の夜 (創元SF文庫)

盤上の夜 (創元SF文庫)

 

 

文学史でも説明は難しい「1973年のピンボール」(村上春樹)

文学史の授業をしています。古今東西の名作?を説明。約一時間で明治から現代まで。

あまり真面目にやっても面白くないんで一応軽く物語説明しているんだけど・・・

「次は夏目漱石の『こころ』ね。これ下宿先の女の子を二人の男が取り合い負けた奴が自殺しちゃうっていうベタな話しで・・・」
谷崎潤一郎の『細雪』。これ性格の違う4人の姉妹を描くという萌の走りのような作品」
田山花袋の『蒲団』。主人公のオッサンがメイドに恋をしてしまいアタックしたらメイドに蹴りを入れられ悔しくて蒲団で泣くっていうサイテーな小説で・・・」 (ホントは少し違う)
森鴎外の『高瀬舟』。ちょっと怖いよ。弟が病気で殺せ殺せって言うのよ。である日兄貴が家に帰ると弟が自殺しようとしている。で兄貴はその刀をぶすっと弟に突き刺しちゃう」
太宰治の『人間失格』。とにかく俺カッコいいが前面にでるくせにすぐ死にたーいなんてぬかして自殺して挙句自分は助かっちゃって一緒に自殺した女だけがしんじゃうっていうサイテーな話しで・・・」
志賀直哉の『小僧の神様』。小僧が寿司をおごってもらって奢ってくれた人を「神様みたいな人だ」っていうどーでもいい小説なんだけど文章が上手いからついつい読んじゃう
川端康成の『雪国』。旅先で駒子って女と付き合うんだけど主人公は葉子って女も好きになりどっちとも付き合うっていう都合のいい話で・・・」
芥川龍之介の『鼻』。鼻がでかすぎてくすくす笑われる男がいるのよ。で悔しーって一念発起して鼻を短くするんだけど、やっぱり「あいつ鼻短くしたよ」ってくすくす笑われる。整形は良くないって話しです」

すいません。文豪のみなさん。僕は穿った読み方をする人間です。



生徒の中には読書家もいて太宰の「人間失格」や遠藤の「海と毒薬」なんかを読んでいる子もいた。ちょっと嬉しいねえ。遠藤読んでいる生徒には「沈黙」や「怪奇小説集」をおすすめしておきました(どっちもグロくて大好き)。

でさて、近代。春樹ですがな。最近の作品もよく出題されるんで春樹も説明するんだけど・・・・これがまた難しい。僕のテキストには春樹の作品として「ノルウェイの森」「羊をめぐる冒険」「1Q84」が挙げられているんだけど正直どれもストーリーって説明しにくいんだよね。春樹の作品ってただ主人公げ倦怠でふらふらしてヤル気ないままセックスしてやれやれって言って、でそれの繰り返しじゃーん。正直なんて言っていいのか迷う。

今回紹介するこれもそうだ。

『1973年のピンボール村上春樹

なんて言ったらいいのかねえ。まあ春樹だってことしか言えないんだよね。ピンボールやって双子の姉妹と仲良くなって、なのに全然主人公はテンションあがらなくて、お前はいったい何がしたいと声を大にしていいたい。

読んでいる間は楽しいんだけど正直何が残るかって言われると、ああ双子の姉妹がうちにいたらそりゃハーレムな感じだなぁぐらいしか感じないんだよな。まったくやれやれだ

もう春樹いいかなとつい思ってしまうけど出てくると読んじゃうんだよねえ。そしてなんだこりゃって思い、でもなんとなく楽しい。困った奴だぜ、村上春樹そろそろこの女とは別れようと思うけどある日お風呂洗っている姿が予想だにしないくらいセクシーでやべえやっぱりこの女とまだ付き合おう、せめてあと一週間とかいいっているうちにいつの間にか三年たってしまうって感じの小説家だと思う。ある意味天才かもしれないなぁ。






三島由紀夫の『金閣寺』ね。これ政治が悪いっていって大論説したあとに腹を切って死んでしまうって小説で・・・」



それは金閣寺でなく三島本人である。

 

1973年のピンボール (講談社文庫)

1973年のピンボール (講談社文庫)

 

 

音楽は恩寵だ「ミュージック・ブレス・ユー」(津村記久子)

「音楽について考えることは自分の人生についてかんがえるより大事だと思う」

僕は音楽について語ることに対しある種の気恥ずかしさがある。それは本について語ることもそうなのだが、自分の性行為を見られてしまっているような気恥しさであると思う(平気でノーミュージックノーライフと声高にいいそれを是とするような気持ちにはなれないのだ)。まあ、ここネット上ではその気恥ずかしさを見てほしいのでぐいぐい書くのだがこれは恥ずかしさがひっくり返っての露悪趣味だと思っていただきたい(まあいうなれば自意識がどうにも肥大しすぎている中二の様なものなのだ)。



実は音楽はかなり好きだった(これ過去形)。以前は音楽を聴いてない自分なんかあり得なかったしどこでもヘッドホン装着オンで、リズムマシーン作動であった。高校のころからジャズを聴きコルトレーンの薫風を受け、セロニアスモンクのピアノの酔いさらにはフリーに傾倒し、セシルテイラー山下洋輔のどうきても騒音なインプロビゼーションに心震わせた。畢竟大学でも音楽は無くてはならぬ何事も、そのままテクノのに流れ込んだ。エイフェックス・ツインやケミカルブラザース、更にはジ・オーブや808ステイツなんかを聞き悦に行っていた。

今は音がないのも音楽さ、ケセラセラさだまさしで感動している自分がいる。うーん、不思議やね(でもさだまさしはいいと思う)。もうミニマムな音は聴かない。最近はしっかりメロディがあるのが好き。回りまわってゆっくり聞くようになったようだ(まったく昔の自分が今にいたら転向だ!と叱られてしまうだろう)。ほそぼととやくしまるえつこラヴ・サイケデリコピチカートファイブあたりを聞いている。ここんとこは小沢健二熱も再燃。昔は「あまっちょろい」なんて思っていたのに変わるものだね人生。

というわけで今日は音楽の本を。

『ミュージック・ブレス・ユー!!』津村記久子

「音楽を聴いているとそれを聞いている何分間だけは息を吹き返すことができる」

そうだよ、若いころってまさにその感じだった。

音楽ジャンキーの主人公アザミの高校生活を淡々と描いた作品だ。根底には音楽があるが彼女の受験、友情、恋愛などを実に津村は斜め45°から俯瞰で切り出すのだ。

あのね、青春ものだとやれ友情だ涙だ感動だってぐいぐいくるじゃない。そんなのもう勘弁なんだよ(「君の名は」はいらない)。そこまでの押しつけがまさがないからこの本を読むと実にゆったりする。ほっとする。そしてふっと自分が高校生だったころを思い出してしまう。

そこらへんが津村は上手いなーと思う。そうそう、こんな感じだったよ。人生はノンクライマックス、でもそこに生きている自分がいて少しだけクライマックスだったんだ。それをふっと思い出させてくれる。

登場人物が多いので最初は戸惑ったが(でもその多さこそがアザミの生活でもあるのだよ)、その登場人物たちとの中途半端なつながりに心惹かれた。そうそうそこまでの友情はない、そこまでの恋愛はない。でもそれこそがリアルだと思うんだ。

「音楽は恩寵だった」

この一言に僕は痺れた。そうだ、僕にとっても音楽は恩寵だったんだよ。そんなことをふと思い出した。




ちなみに以前はレコード(CDじゃないよ)をかなり所有し毎日部屋では音楽がかかってました。CDも相当あったとおもう(たぶん三ケタではきかない)。でもそのレコードもなくなった。CDも売っぱらった。

でも本は売れないんだよねえ・・・これがまた。

 

ミュージック・ブレス・ユー!! (角川文庫)

ミュージック・ブレス・ユー!! (角川文庫)