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本と珍スポと教育と

本について語ります。珍スポットについて語ります。あとたまに教育について語ります。ゆるゆるとお読みください。

昭和な作品が好きです「駿河城御前試合」(南條範夫)

 

駿河城御前試合 (徳間文庫)

駿河城御前試合 (徳間文庫)

 

 

あまり新刊を読みません。アウト・オブ・デイト。すいませんねえ。

まあ新刊を読まない理由はいろいろあるんですけど(定価では書いたくない、天邪鬼ーみんなが読んでいるものなんか読めるか、時代に追いかけられたくない)、一番の理由は・・・いや昔の作品でも面白いものってありすぎるじゃないってことなんです。

SF、ミステリ、時代小説。どれでも昔の作品のが面白い(いや逝っちゃっていると行った方がいいか)気がする。あのね、今の作品ってよくも悪くも「こなれすぎている」んだよね。まあこれだけネットも氾濫して情報化がバンバン進む社会だからさ、作者もいろいろ考えるわけ。そしてできる作品は良くも悪くもちゃんと無難にこなした「非常に優等生」的な作品ができる。あのね、面白くないって言っているわけではないのよ。ただ、どれも「安定の面白さ」であり破線がないんだよね。

でも昔の作品(昔の作品って言っても昭和だけど)は読めばなるほど、作者が突き進んでしまう作品が多いの。だからもう作者の「これ面白いだろ」ってパワーがぐいぐい伝わってくるんだよね。畢竟、作者もあまり周りのこと考えてないから無茶もするする、ああもうこんなの書くなよーってのも昔の作品は多い。つまりよくも悪くもあたりハズレが多い。ホームランか三振か。なんだこりゃーこれすげえ(あるいは酷い)ってなるわけよ。

ミステリを例にとろうか。今のミステリ作家はなんだかんだで結構考えているわけ。そこにリアリティはあるか密室は前例はないか、人間はかけているか・・・でも昔の作品ってそうじゃないんだよなぁ。作者がおもしろかったらそれでいいじゃん、多少の「不自然」があっても気にしないってなるわけ。「りら荘」(鮎川)なんかもまさにそれでなんで連続殺人起きているのに登場人物たちは逃げないんだろうってツッコミに対しそんなの関係ねえ(小島よしお)と鮎川はぐいぐいペンを進める。

僕が好きなのはこの傍若無人さなんだよなぁ。今この傍若無人が溢れているのは西村賢太だけで米澤も米澤も伊坂もまして道尾もしをんちゃんもみなそこまで横柄でない。サービス精神旺盛でいいのだけどたまには無茶してほしいなんて思ってしまう。




でこれは無茶。そしてすげえええええええええええええええええ。

駿河城御前試合』南條範夫

いや山田風太郎好きなのになんで今まで南條は読まなかった。ほんと反省反省大反省である。いや一読すっかりファンになってしまったよ。

時は江戸。駿河城城主、徳川忠長の前で11番の御前試合が行われる。その11番は全て真剣での試合。11番の「殺し合い」が今行われる。

話は連作短編。11番の試合をそれぞれ南條が描くのだ。といっても試合はせいぜい最後の2ページ。じゃあそこまでは何が行われるか。そう、試合に至る経緯が書かれるわけ。なぜ殺し合いに参加するか、なぜ御前試合で相手を殺そうと思うのか、そこにあるのは人間の狡知、奸悪、覚悟、決意だ。そしてそのボルテージを南條はぎりぎりと高め最後の2ページでえいやって描く。いやぁ、これは堪えられないね。

だいたい第1話から目の見えない男と片腕のない男の対決だよ。しかも目の見えない男は秘剣「逆流れ」を引っ提げてくるし。これでテンションあがりまくりである。

2話目は斬られれば斬られるほど陶酔する男が登場(SM)し、四話目では物凄い醜悪な男が血を這うように相手を斬るがま剣法が披露される。男と女の愛憎も凄まじく、愛すべきレベルが強すぎて敵を応援して殺してほしいと思う女や自分のプライドのために男を翻弄する女が登場する。

そして

最後はみな切られて死ぬわけよ。いいなぁ、酷いなぁ、無情だなぁ(稲川淳司)。これ漫画にもなっているらしいので(シグルイの作者らしい)そっちも読みたいぞ。

大満足、星五つです。



ちなみにロクの好きな昭和作家は

ミステリ編
高木彬光・・・トリックがとんでもない。
泡坂妻夫・・・これぞミステリ。これぞトリック
連城三紀彦・・・愛とミステリ
鮎川哲也・・・Mr.本格

SF編
筒井康隆・・・これだけ逝ってしまっている人はいない
小松左京・・・大仕掛けならこっち
星新一・・・ショートショートの神様
横田順彌・・・ゲラゲラならこちら

時代小説編
山田風太郎・・・忍法帳は読まずに死ねるか
宇能鴻一郎・・・エロもだけどね。頭いいのにエロばかり


これに南條も加わったよ。ほんんと読まずに死ねるか!である。