本と珍スポと教育と

本について語ります。珍スポットについて語ります。あとたまに教育について語ります。ゆるゆるとお読みください。

桃太郎いろいろ「王様の背中」(内田百閒)

村上春樹的桃太郎

桃から生まれた桃太郎。彼はなぜ鬼を退治しに行くかわからない。でも仕方ない、それが桃太郎だからと思い、面倒だなと思いながら鬼が島に行く。
途中、犬や猿、雉がお供になるが「まあ仕方ないか、パスタでも食べる?」そう聞いて桃太郎は彼らに食べさせる。彼らが食べている間、桃太郎は何をしていいかわかってない。
鬼が島でも鬼の女とセックスをしパスタを食べそしてふうとため息をつく。成り行き上鬼を退治しなければいけないので退治するけれど、桃太郎は消極的だ。犬や猿や雉が活躍したあと桃太郎はふうとまた、ため息をつく。「やれやれ」

西尾維新的桃太郎

桃から生まれた桃太郎。鬼退治に行く理由を探す。自分に消極的な桃太郎はついつい戯言で自分を否定する。
しかしなぜか女性に好かれる彼は犬の格好をしたメイド、猿の格好をした女子高生、雉の格好をした女秘書に好かれ四角関係に悩みながらも鬼が島に到達する。
鬼が島では彼女たちの悩みを解消しさらにモテる男子になる桃太郎。鬼はもはや欄外。最後は犬、猿、雉と毎日をハーレムのようにして暮らす。

麻耶雄嵩的桃太郎

桃から生まれた桃太郎。彼は生まれたときから超探偵だった。彼は自分が活躍できる場所はここにはないと鬼が島を目指す。
途中犬猿雉をつれ一路鬼が島へ。そこには彼が望んでいる事件があるはずだ。
鬼が島では鬼が殺されていた。彼の推理が動き出す。「犯人はこの中にいる」。しかし実は犯人は桃太郎本人であった。彼は自己の完全犯罪を隠蔽し、犬のせいにして鬼からお礼として宝物を受け取る。桃太郎の犯罪はいまだ暴かれていない。

グレッグイーガン的桃太郎

桃太郎は時空を超えた自分だった。自己の言及に悩む彼はその悩みを解消するために鬼が島に向かう。
途中犬、猿、雉をお供に連れるがそのどれもが「自分」であった。自己とは何か。自分とは何か。それはただのプログラミングにすぎないのか。懊悩は拡大する。
鬼が島で倒した鬼も自分であった。そう実は桃太郎の行為そのものが彼の脳の中で行われている仮想現実であったのだ。その事実に慄然とした桃太郎は発狂する。しかし彼の発狂もまた仮想現実の中でのみのため未だ「何もおきていない」





内田百閒『王様の背中』


これ百閒の童話集なんだけどその中の桃太郎が全く変な話しなんだよね。

桃から生まれた桃太郎。ここまでは普通。でもおじいさんとおばあさんは桃太郎に夢中ですっかり桃を食べることを忘れてしまう。

そこにイノシシが現れ、モモを持ちかえる。半分ほど食べたイノシシは眠ってしまう。翌日になると桃にはアリがたかっていた。イノシシはアリごと桃を食べる。美味しい。めでたしめでたし。

おいおい、なんだこの話。まず桃太郎でなく桃に着目した百閒の精神構造が知りたいぞ。そしてノンクライマックス。ヤマなしオチなし意味なし。ヤオイ本の祖は百閒だったんだなぁとしみじみ。こんな百閒好きですよ。 

 

王様の背中 (福武文庫)

王様の背中 (福武文庫)

 

 



百田尚樹的桃太郎

桃から生まれた桃太郎。彼には秘密があった。実は鬼は彼の生き別れた兄であったのだ。そこをかくし、鬼退治に向かう彼。そこには人間ドラマがあった。
途中、犬猿雉をお供に連れる。彼らにも鬼退治に行く理由はあったのだ。犬にとっては鬼は死んだ父の敵、猿にとって鬼は昔の恋人。雉にとって鬼は自分の過去の清算。それぞれがそれぞれの思いを胸に鬼が島に辿りつく。
鬼が島で鬼退治をしたあと新たな事実が発覚する。そこで初めてあらわになる感動。いま桃太郎は涙なくしては語れないのです。全国民が泣いたベストセラー「桃太郎」大増刷中。映画では向井理が主演です。