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本と珍スポと教育と

本について語ります。珍スポットについて語ります。あとたまに教育について語ります。ゆるゆるとお読みください。

解釋いろいろ「不思議な国のアリス」(ルイス・キャロル)

『不思議な国のアリス』ルイス・キャロル

いやぁ、実に30年ぶりだろうか読んだのは。角川文庫版「不思議な国のアリス」。翻訳はあの福島正実(早逝したSF作家である)。挿画はおなじみ和田誠先生だ。

 



まず和田先生の挿画がふんだんなんで嬉しい。でもアリスはとんでもないぞ。

まず「何を言いたいかわからない」ところが最大の問題である。これは古典では大抵そうなんだけど「読み」がいろいろありすぎるんだよ。バルトがいうところの「テキストの快楽」度が強くなる。したがってどんな解釋も受け入れてしまうところが古典最大の強みであり、また困ったところでもあるんだよね。

アリスもそうで「なんとでも読める」んだよなぁ。だからいろんな解釋本は出てしまうくらい。今回は純粋に原典だけを読んだけど、正直読んでいるこっちが「どう読めばいいのだろう」と悩んでしまう。この手の本は原典読んで解釋書を10冊くらい読めないと本当は全貌をつかみきれないんだよなぁ。


といいながらロクなりの適当解釋で読んでみました。

解釋1

落ちている食べ物を食べてはいけません

アリスはすぐ落ちている薬やきのこを食べてしまう。そのたびに体の大きさが縮んだり大きくなっらり首が伸びたり背が低くなったり。そのたびに文句をアリスは言うが、まてまてお前が食べたからだろと突っ込んでしまいます。あのね、落ちている食べ物は危険なの。そんなの幼稚園児も知っているんだから。食べないでいようねという偉大なる教訓なんだ。

でもその一方で体が伸びたり縮んだりしないとこのストーリーは進まなかったかもしれない。そうだとするとひょっとして落ちている食べ物は積極的に食べなさいという教訓なのかも。虎穴に入らずんば虎子を得ず、敢えて火中の栗を拾うなりというところなんだろうか。


解釋2

言葉狩り何するものぞ

まず章題が「きちがいお茶会」だからねえ。新潮社で出したらば速攻で題名を変えさせられただろう。「おかしなお茶会」?実際「気狂い茶会」に題名を変えているのもあるしね(福島訳はどうどうと「キチガイ」で通っている。

いや所詮言葉ですよってアリスはいっているのではないだろうか(そうかぁ?)。この100年後筒井が言葉狩りを相手戦うのを考えるとそれは示唆的だ(そうかぁ?×2)。まあこんな言葉で堂々と訳してしまうアリスが素敵だ。


解釋3

女子は基本言葉が汚い

まあアリスの言葉の汚いこと!「こんな奴に話したって無駄だわ!まるっきりバカだもの」おいおいそれを言ってはおしまいでないかい。他にもえげつない台詞がずけずけでてくるのもアリスの特徴だ。

あのね、中学女子なんかと常日頃付き合っている僕ですけど、これはなんとも納得なんだ。しかも残酷。好きじゃない男子になんかほんと「そこまでいう」と思ってしまう。たぶん著者のルイス・キャロル(真正ロリコン)はその厳しさを肌で感じたはずだ。そもそも13歳の少女に結婚を申し込んでいるキャロルはきっと辛辣な言葉を何度も浴びせられたのだろう。胸中察するぜ。女子に幻想を抱いてはいけない。


解釋4

駄洒落は世界を救う

アリスは駄洒落のオンパレードである。残念ながらこれは原書で読んだほうがいいのだが福島訳は丁寧にその駄洒落を英語で解説している(たとえばadditionをambitionの駄洒落で使っているとかね)。この手の駄洒落は世界では多い。有名なのではジョイスの「フィネガンス・ウェイク」とかね。

で欧米の人はその駄洒落を素晴らしいと解釋することが多いのね。そうそう日本でも昔は駄洒落が「掛詞」としてしっかりと解釋されていたじゃーん。でも今のブンガクで駄洒落書く人っていないよね(井上ひさしくらいしか思いつかない)。そうだ、編集者にバカにされても駄洒落を使うべきなんだよ。そう考えるとKAGEROUで水嶋ヒロが書いた「ジンが好きなイギリス人」は決して恥ずかしいものではないことがわかるんだ(そうかぁ?)。


解釋5

女王はハードなほうがいい

アリスの女王は常にハードだ。なんたって気にいらないとすぐ「首を切れ!」だもん。過激過激。人殺し何するものぞである。まあ基本童話は過激なんだけど(この辺のことはハインツ=マレの「首をはねろ!」に詳しい)、それでもなんでもかんでも首を切ってしまうとは。こんなSM嬢が今の生ぬるいSM界には必要だときっとアリスはいっているのだ。

そう考えると団鬼六先生なんかまだまだ甘いのだ。なんたって向こうは「首を切って」しまうのだから。稀代の殺人鬼エリザベートだって吃驚である。キャロルが今のSM界を見たら「なんて生ぬるいSMなんだ」というに違いない(そうかぁ?)。僕の憶測だがキャロルは真正のMだと思っている。たぶんアリスを書きながら体に蝋燭を垂らしていたはずである。






すいません、これは僕のロクでもなくアリス解釋。そう、どんな風にも読めるアリスだからこそいまだに残っている作品だと思うんですよ。 どんな風に読んだって構わないってわけで。

 

 ちなみにアリスの翻訳においては福島訳はけっこう不評。でもアリス初級の僕には何がまずいかまだ他と比べて見ないとわかんないんだよね。他のアリスも読んでみますか・・・って話しです。