本と珍スポと教育と

本について語ります。珍スポットについて語ります。あとたまに教育について語ります。ゆるゆるとお読みください。

文体で笑え「へらへらぼっちゃん」(町田康)

トイレに行って用をたすときは危険が一杯なわけで、まずは最初便座に座るときに、ああひょっとしたら便座は高熱で温められていて火傷をしてしまうのではないか、いやいやあるいは物凄い低温で座った途端心臓麻痺、すわ危険じゃないかあわわわわ、坐ってまずは適温キープ、やんぬるかな、まだまだ安心してはおられぬ、其の後はひり出すときに肛門がそのまま出て仕舞わないか、いわんや腸が逆転し、脱腸先生ここにあり、そんな心配も何するものぞ、無事にひり出したるあとに控えしはウォシュレット。これが激烈なる水流で肛門を刺激し、更には肛門から口まで水流が逆流し、あわや人間マーライオン、そうなってはたまるかいなとおずおずボタンを押してみるとこれが思っているより緩く護国安心、とこんな感じで用を足し、遣れ遣れ、くけけけけとなるんであーる。

バカ文章だな・・・

文体ってのは妙なものでこれだけはなかなか翻訳ではマネできないのではと思うんですよ(まあ柳瀬とかやっているのもいるけど柳瀬は残念ながら結果真面目なんだよなぁ)。で今回の本は文体を楽しむ本。

町田康へらへらぼっちゃん

著者初のエッセイ。これ読んでもらえばわかるけど中身何もないんだよね。エッセイと言ってもほんとに著者の周囲におきてんのかいなと思う内容。ってか内容なんかまったくないぞ。全くどうすれバインダー。

でも面白いんですよ。もうとにかく読んでいることが快楽なんだよね。町田の本は初めて読んだけどなるほどこれはミュージシャンだよ。つまり書いてある内容よりリズム第一で書いてしまうという、内容なんかfuck youなレベル。読んでいてもついビートを刻んでしまう(しかも4ビートでないぞ)。

だからか僕は先ほど読み終わったのに全く中身を覚えてないんだけど、それでいいのだbyバカボン。自然となんかバカな文章を書きたくなってしまうから不思議だよね。

ちょっと引用してみようか。

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まあ、あんとかなるやろ、などと東京へ。で、いわんこっちゃない、やっぱり立ち往生をして行き所を無くし、伝手をたどってよう這い込んだのが、板橋区は成増の鬱蒼とした丘の上、宏大な邸宅のほんの片隅に建てられた、木造モルタル二階建ちのアパート。

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こんな感じで文章が連綿と続くんだからそりゃー読んでいる方はたまらんよってなるわけ。あのね、例えば「二階建て」って書くのは簡単なんだけど町田は敢えて「二階建ち」って書くんだよね。その違和感こそ町田の楽しさなんだ。通常使わないような言葉が次々に出てきてえーこんな言葉ここで使うの?ってなるわけ。それが面白くて仕方ない。しかし、町田ミュージシャンのくせに(偏見)文章のセンスが面白すぎて笑うんだけど。こんな作家他にいるかしらんと思っていたら、ああこれこそ野坂昭如の系譜じゃねーのと読んでいて嬉しくなってしまう。

まあ本に対して「スジ」を求める人には決しておすすめできないけど、「文」を楽しめる人にはお勧めな本でもありんす。そうだ、この町田が訳した宇治拾遺物語も読まないとね。アマゾンでも絶賛だし今から楽しみだなぁ。





トイレをでてさあおもむろに食事をしようとするとこれもまた危険が一杯なわけで、まず、頼んだのが小龍包、これをおもむろに咥内に入れるや熱湯という状況の肉汁が溢れ咥内を跳梁跋扈、いわんや皮膚を爛れさせ、憐れ疾病ご用心、咥内火事でございますとなる訳で、その恐怖に戦き乍、レンゲに小龍包を入れ、ええい、ままよ、南無八万大菩薩、ぐぐぐと口に押し込むは清水の舞台から飛び込む覚悟でございます。

やっぱりバカ文章だ・・・

 

へらへらぼっちゃん (講談社文庫)

へらへらぼっちゃん (講談社文庫)