通勤電車あるある「昼のセント酒」(久住昌之)
降車駅近くで読み終わりそうだとホームでとりあえずラストまで読む。
あと50ページで家についた場合は翌朝もっていくと確実に読み終わってしまうので家で最後まで読む。
表紙は見られないように読書カバーをする。とくに講談社の場合は「あら、あの人あんな本を讀んでいるわ」と言われないために必ずする。ましてやラノベなんかでは読書カバーをしないと末代までの恥になる(でも読む)。
他の乗客が何読んでいるかは気になる(そして題名が分かると嬉しい。さらにその本を自分も読んでいるともっと嬉しい。さらに読んでいる人が美人だとますます嬉しい)。
乗り過ごしたことは一度はある。自分に非があるのに本のせいにする。酷い時は乗り過ごして反対車線に乗り、また乗り過ごす。永久機関。
満員電車ではとりあえず読むスペースの確保に必死。ドア近くの4隅に位置できるととりあえずやりきった感がある。
やはり文庫本。ハードカバーを電車内で読んでいる人を見ると勇者だと思う。
穂村あたりを読むとニヤニヤが止まらないので車内では自重する。笑い本は持っていくな。なるべくしかめつらしい顔で読める本を持っていく。
手袋をして読むことはできないので手袋を外す。ポケットに入れる。そして手袋を落とす。あとのまつり(過去、2つ片方だけなくした手袋がある)。
いつの間にか寝ている。
そしてやはり乗り過ごす。
電車内で文庫を読んでいる人のがスマホをいじっている人より多くいると嬉しい。でもめったにない。盲亀の浮木ほどない。
若い子が本を讀んでいるとなぜか嬉しい。おばあちゃんはそれほどではない。
電車内でのお喋りが気になる。ウォークマンの音漏れよりも気になる。勘弁してくれ。
でもたまに読んでいるふりをして聞き耳を立てていたりする(この間は電車内で別れ話を始めたカップルがいた。全くページが進まなかった)。
読み終わった時のために2冊は必携。1冊しか持ってない場合は気持ち遅く読む。
難しい本だとすぐスマホに逃げる。
前に座っている人が美人のOLでミニスカートだったりすると読書の妨げになる(でも嫌ではない)。
あと少しで読み終わるのに降車駅が近づくとタイミングが悪いと電車のせいにしてしまう。
たまに本を忘れるとほんと手持ちぶたさ。何をしていいかわからない。とりあえず活字を読みたいので吊り下げ広告を熟読する。週刊文春の広告なんかがあると地獄に仏。ありがとう、スプリングセンテンス。
降車駅近くで読了すると自分をほめてしまいたくなる。あと2分で降りる、さあ解説でも読むかの極上コンボ。
今日の本は読みにくかった。
『昼のセント酒』久住昌之
まず表紙が男性のハダカである。しかもソフトカバーサイズであう読書カバーがない。でもつい読みたくてもってきてしまった(電車内ではなるべく表紙を隠して読んだ)。
中身はおなじみ久住の食べて飲んであるある。僕は銭湯も好きなんで大いに共感。「孤独のグルメ」なんかもそうだけど、久住の凄さって「わかる~」ってとこだと思う。
出てくる銭湯は都内。千住の大黒湯、銀座の金春湯、浅草の蛇骨湯にはいったことがある。それだけで嬉しくなってしまった。とくに千住の大黒湯にはしょっちゅう行っているので、妙に親近感を覚えてしまった。
この本では銭湯に入った後にビールぐびー。これがなんとも羨ましい。僕は下戸なんでビールはコップ1杯で十分。それ以上飲むと気持ち悪くなる。ビールをジョッキで飲めることができる人が羨ましいのだ。
先日、車内で朗読をしているおじいちゃんがいた。結構な勇者だと思う。ああなりたいものだ。