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本と珍スポと教育と

本について語ります。珍スポットについて語ります。あとたまに教育について語ります。ゆるゆるとお読みください。

役に立たないから面白い「檀蜜日記」(檀蜜)

なんの栄養もないような食べ物が好きだ。

寒天とか蕨餅。あるいは杏仁豆腐。野菜なら茄子のあのふよふよ感。コンニャクのあの主張のなさも好き。

ビタミンCがー、カロチンがー、アミノ酸がーと言っている横で小さくなりながら「僕らは何も栄養なんかないんですよ、ええすいませんねえ」と小さくなっているそれらの食物を見るとたまらないほどいとおしくなる。

そういえば僕は「役に立つ」が嫌いだった。

まず本に対し「役に立つ」と思い読んでいるのが嫌なんだよねえ。最大の敵は勝間和代かな。速読ってのも厭だねえ。本は自分の生活に役に立てるんですよなんて言うあの説教臭さに身震いがする。はいはい、そっちはそっちで御願いしますよって感じになるんだよなぁ。

じゃあなぜ読むのと言われれば「そこに本があるから」(ジョージ・マロリー)。読書なんてそれでいいんじゃないかなぁ。偉大なる趣味ですよ、趣味。趣味が役にたったらいやでしょう。

でも世間では本を讀むことをステップアップと思い(意識高い系)、これだけの本を讀んでいるんだからこんだけ自分の役に立つはずだうんたらかんたら。どうだくぬくぬどうなんだ。





あのね、本なんかどれ読んでも役に立たないから。




まあ上は極論なんだけど少なくとも僕が好む本はそんな本が多い気がするんだよなぁ。すなわち自分も役立たずなんだろうなぁと思いベランダで一服して遠くを見ている。気分は良寛、無常感。

僕の好む本はミステリだし(何の役にも立たないよなぁ、人殺しの技術なんか知ったって)、ホラーだし(ますます役に立たないよなぁ、血ドバばかり展開しても)、SFだし(結局実際には起きないことだしなぁ)。

凝と手を見る。



そういえばエッセイもなんとも役に立たないエッセイが好きだ。

天下国家を述べるでもなく経済を述べるでもなく恋愛の方法に言及するでもなく、どうでもいいことをただだらだらだだだと書くエッセイが好きだ。

岸本ちゃんとかほむほむとか。

そしてこのなんとも言えない日記も好きだったよ。


壇蜜日記』壇蜜

あの壇蜜である。

いや面白い。この文才。壇蜜の面白さは距離感にあるとおもうんだよね。

なんか対象からかなり離れてー自分のことを述べるときですら自分から離れてしまうようだー書かれる文の面白さ。芸能人の日記だけど侮ることなかれ。僕はかなりありだと思った。

「給料をあぶく銭と言われる」
「誕生日、いつも一番一緒にいたい人に一番冷たくされる日。慣れたけど」

などたまにドキリとさせる言葉をのたまうが基本はどうでもいいレベルが距離感を持って語られる。そしてその距離感が癖になるのだ。あのね、一言でいえばこの日記の素晴らしさって「含羞」じゃないかしらん。

行替えもなく読むと純文学を読んでいるような様相であるがその中身のなさになんともにやけてしまう。僕はこんな意味のない文章を書く人が好きなんだよねえ。





そういえば壇蜜って秋田出身なんだよな。秋田は美人が多いねえ。昔電車で秋田に行ったとき山形ではそんなに美人が多くなかったんだけど秋田に入った途端どんどんと美人が増えてきたのには吃驚した(これ実話)。

秋田が美人が多いのか、山形に不美人が多いのか(山形の人、すいません)。

 

 

壇蜜日記 (文春文庫 た 92-1)

壇蜜日記 (文春文庫 た 92-1)